鳩頭の空中散歩

ハーディ・ワインベルグの法則

遺伝の法則で、メンデルの法則は習った人が多いだろう。教育課程では中学校でやることになっているのかな?
19世紀という近代から現代に移りつつあるまだ宗教的価値観の影響が色濃い時代に、修道士でありながら寺院の裏庭でせっせとエンドウマメを栽培して神に喧嘩を売ることに執心したメンデルさんの姿を思い浮かべると、ふふってなる。

優生保護法

 筆者が大好きな「銀河英雄伝説」では、ゴールデンバウム王朝創始者であるルドルフ大帝が定めた「劣悪遺伝子排除法」という形で登場する。オーベルシュタインが毒づく場面は好きな場面の一つだ。劣性遺伝子を排除することで優性遺伝のみを残すことは科学的に不可能であることはあったりまえのことで、今やこの手の法律を運用している国はない。なのに未来設定の銀英伝で出てくるあたり、たとえ舞台装置としてでも誰でも思いついてしまう誤謬の一つだ。旧優生保護法が日本で制定されたのは1948年、戦中のナチスの話じゃないんですよ、戦後日本の話です。それくらい間違いやすいので、現時点で間違っちゃってる人を責めれはしません。改めさえしてくれれば。
 劣性遺伝排除が科学的に不可能であることを表すのが、ハーディ・ワインベルグの法則だ。簡単に言うと、10万人に1人で発現する劣性ホモ遺伝病があるとして、その保因者は約500人に1人というものである。これ、メンデルの法則でも使うF1組み合わせ表を書いてみるとすぐに分かる簡単な法則です。10万人に1人というのは日本における1型糖尿病よりも低い率で、1型糖尿病保因者で計算するとだいたい普通高校1校に2人以上は必ず居るという計算になる。これはあくまでも1つの対立遺伝子についての計算で、ヒトゲノムには約20,000個の遺伝子があるので、そこから劣性ホモ因子を潰すのは不可能って分かるでしょ。人道云々以前のお話です。

豆知識

 ちなみに、現在では遺伝学において「優性」「劣性」は使いません。優性遺伝は現在では「顕性遺伝」といいます。「優先して表現型に現れる」という意味で「優性」と呼ばれていたけれど、「現れる」の方に意味を持たせて「顕性」という呼び方をします。「優性遺伝」を英語でいうと「dominant inheritance」で、「dominant」とは日本語で最も近いのは「優勢」。訳語を作った人は「優勢の性質」という意味で「優性」としたんだろうけど、これを「質的に優れた=superior」と読んじゃう人が多いという悲劇。その悲劇的誤謬に基づいてダーウィンを超曲解した社会進化論なんか真に受けてる人が居たら、私はバカですって言ってるようなもんですよ。(まあ、黒歴史なんですけどね)

Quantitative と Qualitative

 ハーディ・ワインベルグ則によって表される事実をどう理解するかは人によりそれぞれだが、「500分の1の間引きで10万分の1を排除できるなら安い」とか言い出す人がいたら、それはもう科学の言葉でさえも通じないアレなんで20,000個の遺伝子抱えて今すぐ◯んでください。
 一つの解釈として、先天性の障害を持つ人はその気になれば数えられる程度の数でしかない確率を肩代わりしてくれた人、という考え方ができる。だからこそ社会が支援するというのは科学的に成り立つ。一方、先天性障害者は数の上ではマイノリティではあるが、因子を解析するとその確率は跳ね上がり保因者は決してマイノリティとは言えないことを、ハーディ・ワインベルグ則は示す。つまり、量的な要素に基づいた視点とは異なる視点を取り得る。
 ありがちな誤謬の多くは、量的要素と質的要素を切り分けられていないことから生じる。すなわち、量的な多寡と質的な優劣は全く別問題であることを考慮されていないことだ。量が多いことと質的に優っていることは全く無関係である。量の多寡は定量的である一方で質的な優劣は評価軸次第であり、量的に少ないことが優位であることが往往にして発生する。これは進化生物学的にも見られる現象であり、社会的な問題にのみ見られるものではない。
 差別問題はあくまでも質的要素に法って論じられるべきであり、量的な要素を持ち出すと訳が分からなくなる。LGBT発達障害という社会的に制約を受ける質を「マイノリティ」と呼んでは本質が見えない。それらはあくまでもQualityでありQuantityではないということを認識しての議論が望まれる。