ここで駄論突っ込んでブログ主さんにご丁寧なご返答をいただきました。
yuhka-uno.hatenablog.com
横入りの左翼さんはしらね
d.hatena.ne.jp
まさにこういうことだったんですね。[ major ] と [ minor ] は定量性の多寡ではなく質的要素を含んでいて、minorは「主に対する亜」という従属性を包含した言葉でありました。
そして、[ majority ], [ minority ] の持つ質的要素を把握していないのはネイティブでも同じということを初めて知りました。
これもうね、言葉というか言語レベルで問題あるんじゃない?
じゃあなんて言えばいいかって、「社会的弱者」としか言いようがない?
弱者とは誰か
うーん、私、発達障害気味だけど弱者って自覚ないしなあ。むしろ大迷惑大魔王だし。
言葉の定義にやたらと突っかかるところとか発達障害丸出しだし、大人になって多少擬態できるようになったけど、ネット空間ではいまだにこれだ。社会人ひよっこの頃までは、絵に描いたような定型発達の妹が羨ましくもあり「これだから定型は」と思ったりしたけれど、妹には妹の悩みがあり、やっぱり兄妹だなと思うこともあったりして、こういう性質はスペクトラムであることを身をもって学んだ今では定型 vs 当事者という二項対立が意味がないことを知っている。だから「怒れるマイノリティ」と「鈍感なマジョリティ」という分類が不毛であることも考えなければならないと思う。そもそも人間はマジョリティ・マイノリティという属性を持っているわけではない。一個人の中にマジョリティとマイノリティが混在しているものだ。
不幸な対立構造
……これもトーンポリシングっていうの?
だったらもう何も言えない。どこからどこまでが控えなければならない言葉なのか分からないこの恐怖がポリコレ棒なんだ。
・・・なる
マイノリティはこの恐怖を味わい続けてきたんだから、今こそポリコレの怒れる正義の鉄槌に怯えるがいい。ってことならば。よろしい、ならば戦争だ。ということになるがおk? それが人間として正常な反応よ。よもやマジョリティ属性にはその権利は無いとは言いはすまいな?
歴史上、民族紛争の発端てのはだいたいこんな感じよ。民族問題なら先祖(過去性)という交じり合わない属性の二項対立が成立してしまい残念なことになることがあるが、もともとありもしない属性の型にわざわざ嵌めて対立軸を作り出してるように見えますね。
発達障害なりたがり
ポリコレ棒でタコ殴り覚悟で言えば、ぶっちゃけLGBTって興味無いし。良くも悪くも。どうせ自分には共感能力無いから共感しようとするだけ自分が無駄だと分かってるから。
難病を患っている人に病気を告白された時、「ふーん、そ。で、明日までの課題の件だけど……」ってすげー塩対応したけど、それ以外の対応は今でも思いつかないよ。多分、幼馴染に「俺ゲイなんだけど……」って言われても「へー、そう。で、昼飯何にする?」だと思うわ。
障害者に対する意識も、単なる確率論でしか捉えていない。先天性疾患に対しても、ハーディ・ワインベルグの法則通りにしか捉えていない。500分の1なんて商店街の福引きよりももしかしたら高い確率で持っている因子をたまたまホモで担いじゃった人は自分を肩代わりしてくれただけだし。それ以上の興味は無いというか、おそらくその精神的な苦痛は理解できない。だから精神的苦痛を差別根拠に掲げるLGBTのことは全く理解できないんです。
だってしょうがないよね、発達障害だから♪
って言ったら許してくれますか?
ここまで書いたら、発達障害って楽だわーってちょっと思った。
なるほど、だからなりたがり屋さんがあとを絶たないのか。
自分だって「気味」なだけで診断受けているわけではないけどね。
それにそもそも
gigazine.net
古い話だけど有名な話。実際そう思う。
物理的な障壁は理解できるので社会福祉に貢献することは厭わないけど、カワイソウだとは思わない。そういう意味では弱者差別を私はしていないと思う。まあ、されてる側ではないのであくまでも思うだけですが、このスタンスを「鈍感」だと言われたら「ごめんなさい」としか言いようがないわな。で、どうさせたいわけ?