鳩頭の空中散歩

教員公募の見分け方

hatoatama.hatenablog.com
大学教員の公募情報は基本的にJREC-INで入手する。
昔は有望な大学院生から一本釣りや、同門つながりで人材を融通しあうなどクローズドな採用が一般的だったが、現在では基本的に公募しなければならないことになっている。公募しなければ私立大学は私学助成金を削られるし、国立大学法人は独法化など名ばかりで独立採算化で経済的に苦しくなっただけで人事に関しては形の上では独自制度を運用するとされていながら未だに文科省の制御下にあるから、現在では文科省の方針のもとテニュアトラック制度をほぼ全面的に採用している。公募採用をしていないのは、知るところでは私学助成金を受け取っていない都築学園グループくらい(ここの実態は調べれば分かるけど、褒めてない)。

テニュアトラック制度

そのテニュアトラック制度は、昔ながらの研究室の徒弟制度を横文字化しただけで、見どころのある若手を研究者だけでなく、教育者、研究室運営者に育てるために潤沢な研究費を与えてメンターを配置して育てるよというもので、定期的に査定が入る分厳しいけど、公正性の制度化という点では優れていて、これ自体は良い制度だと思う。相変わらずアメリカの制度の劣化コピーだけど。
以前に在籍した大学での助教に対する制度はテニュアトラック制に近かったが、上司と相性が悪くメンターどころかアカハラじみたことをやられたのは忘れない。メンターの若手育成能力も評価しないと不公平だ。私の前任の助手の育成にも失敗して、その助手は学科長采配で別の研究室に移籍したけど、それでも教授は定年まで居座った。私も4年目から別の部屋に移籍したけど、移籍先の教授が学部年報で「それはあなた自身の研究テーマだからあなた自身の名前で出しなさい」と、研究室単位での報告であるにもかかわらず教授の名前を入れることを遠慮され、私の研究テーマと成果報告に名前だけ乗っかってきていた前上司との違いにえらく驚いたことはよく覚えている。
その頃から共同研究を続けている他大学の先生も、私が研究代表者として企業との共同研究を結ぶことを最大にサポートしてくださったにも関わらず、研究課題としては直接関係していないからと学会発表に連名することすら遠慮された。虚栄心とは無縁の先生方からのご指導に恵まれたことは大きな財産。だから一昨年出した論文は共同研究先の大学院生の修士論文研究だったので1st Authorをその子にすることは私にはごく自然なことだった。
年報数年分の成果をまとめて、指導してくださった前学科長にどうしてもとお願いして共著者に入ってもらった論文は、今でも被引用数が増え続けている私の最高傑作だけど、立場上研究室のボスだっただけで何もしていない、むしろ嫌がらせされたY教授を共著者に入れざるを得なかったのは、傑作論文の染みのようで気分が悪い。

閑話休題

なんちゃって公募

一見公平に見える公募制だが、私学助成金を削られることを避けるためにとりあえず公募を出すという、いわゆる「なんちゃって公募」も時々ある。以前、着任日を過ぎるまで不採用放置をしてくれやがった大学がやったのはまさにそれで、12月27日募集情報掲載・1月15日書類締め切りという、年末年始のドサクサで「とりあえず公募は出しました」という体裁を取っただけのクソ公募だ。こういう公募は最近では随分減ったけど、未だに少なく見積もっても2割り程度はまだある気がする。大学単位では、出す募集の半分近くは「とりあえず公募は出すけど実際は内部で決まっている」という慣例で動いているという話も聞く。半数はガチ公募であることはまだ救いであるが。それでも半数なのが腐れた実態。
実際にこういう事例は今までの任地でも目にしていて、公募期間2週間という公募で採用されたことになっている先生方が何人か居る。逆に、なんちゃって公募を出してでも残ってほしいと思ってもらえなかったのは私のダメっぷり。

そこで、JREC-IN界隈の公募戦士ネタでもよく言われることだけど、「応募するだけバカを見る」公募の例を挙げる。

● 募集期間が極端に短い
これは鉄板。ただ、募集期間に規定はなくだいたい40日前後が相場なので、1ヶ月を切っているからヤラセ公募というものでもない。しかし、2週間前後であればほぼ間違いなくヤラセ確定案件。

● 担当授業科目や研究内容がやたらと具体的で細かい
最近は講座制を敷かず助教でもPIになる大学もあるので、「上記募集分野において優れた業績がある者」以外に「◯◯研究室の□□教授と共同して研究室運営に当たっていただきます」という記載が無い募集もあるにはある。ただ、一般的には研究室運営はPrincipal Investigatorをトップとするヒエラルキーがあるので、募集案件の研究内容はある程度指定されている。
しかし、この研究内容がやたらと仔細に渡り具体的すぎる募集はよくある。また、担当科目が「生物学に関わる科目(生物学、生化学、生物学実習等)」という記載ではなく「生物学1・2、生化学1、分子生物学1、機能形態学2、生物学実習(遺伝子操作に関する範囲)」など妙に具体的なのは、内部昇進をなんちゃって公募でごまかしているのを表明しているのと同じ。
ただこれも見極めが必要で、歴戦の敗戦を繰り返すと、なんというか、臭いを感じることができるようになる。先のクソ公募大学では、担当科目の一つが募集分野とは少しかけ離れていて、むしろその分野が専門の私は「この科目なら担当できる」と思ったのだが、蓋を開けてみればその大学の関係者で今はその分野が専門の人が着任していた。しかも同学年で研究実績は私以下。恨み言の一つも吐きたくなるが、挙句の果てに不採用放置するようなクソ大学と縁ができなかったのは幸いと思うことにしている。

この2つがコンボであればヤラセ公募である可能性は限りなく高いというか、確実視して良い。
応募書類はA4で代表論文の提出も併せて数十ページに及ぶことも珍しくなく、それを書留で送るので郵送料だって馬鹿にならない。また、応募書類は文科省の「様式4号」という書式に基本的には準拠するが、これがまた整えるのが一苦労。今後の抱負や研究計画は、応募大学の建学の精神や教育の理念、アドミッション・ポリシーや関連科目のシラバスや第三者評価結果が公開されていたら調べたり、所属講座の先生方の公表論文を読んだりして何度も推敲するから、1日2日でできるものではない。そもそも様式4号準拠ですらない舐め腐った書式もある。
こういうところは大学の体制自体に問題があることも少なくないから忌避案件。応募するだけバカを見る。

随分上からの物言いと思われるかもしれないが

学生を適正に評価して「できることとできないこと」をしっかり見極めて育成するのが教員であり、人を評価するのがその仕事の本質の一つである以上、人を評価することは同時に自分が評価に晒されることだという覚悟を持って臨まなければならないのは自明。応募者を評価するということは応募者から同時に評価されるのは当たり前。

大学の教員採用がどれだけ頭おかしいかの一例でした。


ただ、大学に全ての責をかぶせるのも間違いで、2018年問題をとりあえず先送りにしただけの「任期5年、1回に限り更新可、最長10年まで」という募集が多いのは非正規雇用に関する法律の改正で「5年を超えて任用する場合は正規雇用とすること」の年限が10年に延長されたことに対応しているだけ。基本的には非正規雇用を使い潰して見た目の最高株価更新を達成した無能総理の長期政権の成果。以前は「任期3年、以後1年毎に更新、最長5年」というのが主流だった。最初の1年なんて新任地で研究体制を整えるのに精一杯、大学の方針や授業に慣れるのに必死で、2年目から成果が出るかどうか微妙、しかもそのあたりから助教であっても授業負担や学内委員会とかを山のようにかぶせてくるのがリソースもやる気も決定的に不足している地方三流私立大学。私のようにトロいのは2年目でもまず絶望的。共同研究者の先生が色々と世話を焼いて助けてくださったから今年に入って論文を何本か出すことができたけど、実験研究は早い段階で諦めた。
結局自分自身の問題なんだけどね。

結論
人事は政治