鳩頭の空中散歩

職務経歴の行数は何行ですか?

履歴書を "biography" って言ったらなんかSFチックでかっこいいと思う、知能指数の低い理系の大学教員です。

hatoatama.hatenablog.com
この記事が当ブログで最も読まれてる記事だけど、これ書いてたときは無職で、今思うと本当に病んでいた。
「金のために仕事したことなんて今まで一度もないのに、なんで金に苦しめられないといけないんだ」
一時期、本当に吊ることも頭をよぎった。
その頃のことを考えると、アイドルの誕生日を計算して遊んでるとか、マジでその頃の自分に頃されろ。

研究。
なんかの弾みで科研費なんかもらっちゃったものだから、それなりには進めています。原資は貴重な税金なので、成果をしっかり社会に還元したいと思います。
ただ、「無い袖は振れない」ということを無職時代に痛感した経験から。無い袖はお金のことだけじゃないんです。むしろ取り返しも補充も効かないと言う意味で、時間の方が深刻。ぶっちゃけ言えば、地方の短大でしかも職位も上がってしまえば、PIの援助のもと授業負担も少なく研究時間を確保できていた助教時代を懐かしむほどに、実験研究は非常に困難なのです。短大なので基本的に卒論生もなく、「サンプリングだけで一日中かかるけど、基本的に失敗は無いスクリーニング実験」なんてことを卒論研究として学生に任せるということもできず。実験研究で培った解析計算技術を活かして教育工学分野に手を出したら意外に好評なので、そっちの学位も取ってみようかと考えたり。そっち方面に手を出したのも、前任校での上司が本当に好き勝手させてくれて、その成果でも評価してくれたから。万年筆の師匠でもある。当ブログ、万年筆記事から始めたんだった。

思い返すと、師匠と上司には恵まれた。
というか、毒上司に当たったこともあるけど、様々な職場を渡り歩いて良い上司の方が圧倒的に多かったから、毒上司を記憶から抹殺している。
これは、職務経歴が少なく出会った上司が少なければできなかっただろうと思う。どんなに毒でも親を記憶から抹消することはできないだろう。血を分けた親ならこの世に2人しかいないのだから。多くの上司に恵まれた私は、1人2人の毒上司を記憶から抹殺したところで何の影響もない。

というくらい、職場を転々とした。
新年度から非常勤講師が決まり履歴書出してねと言われたので、無職時代にjrecを眺めては何十枚と書いた履歴書を久しぶりに書いた。その作業であの頃のことが思い出されて、実はかなりしんどい作業だった。メンタルは強靭というか鈍感なことには自信があるけど、こんなに繊細に手が震えるとは。これ、PTSDになるんだろうか笑

市販の履歴書では、職務経歴の行数が足りない。
ワープロソフトで自作しても、A4 2ページに収まらない。
この業界にいる人なら普通のことだけど、そもそも学歴欄の行数が妙に多い。

最近、共同研究の先生と食事をしていて、なんとはなしに大学院を出てから最初についた職場の話をした。
「へえ、苦労してたんだねえ」
10年近く一緒に研究をしている先生だけど、そういえば話したことなかった。
上級の研究機関であるその職場での上司、つまり社会に出てから最初の上司が最初の毒だったことを今思い出したほど忘れっぽいのが、鋼メンタルの源だろう。都合良い性格に育ててくれた両親に感謝だ。
ポスドク経験者やアカハラが横行するブラック研究室の経験者が辛みを滲ませて語る研究室とは、あそこの姿だった。うん、今思うと。もうどうでもいいけど。

何度も何度も書いて、もう二度と書きたくないと思っていた職務経歴を書きながら。
「無駄なことって無かったなあ」
と思えるくらいには、人間に丸みが出てきた気はする。

引退する学長から、学生個々人に応じた勉強を講じて退学者を出さないように頼むと言われた。
入学者を分母にすると国試合格率が3割を切るようなクソ大学を経験してきたから、退学させたくないのは私も同じ気持ちだ。
「私は大学が好きすぎて大学に居残りたくて大学教員になったような人間です。だから学生には大学を楽しいと思ってもらいたいです」

ああそうか。
自分は一生大学生でいるために「研究者」の衣を着ることにしたんだな。

卒業生には、現場の技術を磨いてステップアップしてもいいし、なんなら教育の世界に入ってきて一緒にやれることがあったらと思う。
職務経歴の行数は、1行である必要はない。

ただし、常識的な範囲内でね。