鳩頭の空中散歩

上司の長芋を運んだ

「鳩くん、ちょっと手伝ってくれんか。力仕事だ。」
「いいですよ」
若くはないのだがこの年齢で若手扱いされる業界。上司のご実家から送られてきた長芋を事務所から駐車場まで運ぶ任を仰せつかった。
「台車ないときついぞ」
「そんなにあるんですか!」
「あとで分けてやるwww」
「料理しないからいらねっすw」

事業所には外来の人も多く出入りするので、事務所と駐車場は結構離れている。さてどのルートを通ると楽かな、と敷地内地図を頭に広げる。
エライ人が出入りする車寄せがある建物に回ってエレベーターで車寄せに回ろうかと考えたが……
「上司、無理ですわ」
「なんで?」
「だってうち、全然バリアフリーじゃないじゃないですか。渡り廊下の前後にももれなく階段付きです。」
「そういやそうだな。じゃあ玄関に車回して来るから待ってろ。」
「玄関にも階段ありますよね」
「そのくらい耐えろ」

バリアフリーユニバーサルデザイン

ユニバーサルデザイン」って一時期流行ったけどやっぱりただの流行語だったか。
 バリアフリーは文字通り「障壁排除」で、一番わかりやすいのは車椅子用スロープだ。このスロープが結構曲者で、実際に体験してみるといいけど、自分の体重の乗った車椅子で自力で登るのはかなりしんどい。介護者が押すにしても相当負担がかかる。事業所はそれほど古い施設ではないが障害者に縁が薄い施設なので、このご時世に詰めが甘いというか、一番勾配のきつい出入り口に申し訳程度のスロープをつけただけで肝心の玄関が置いてけぼりという状況だった。このことは、台車で建物を移動するお仕事を仰せつかわなければ気づかなかった。
 スロープだったら車椅子の人だけじゃなくてみんなが楽だよね、というのがユニバーサルデザインバリアフリーが障害者のための措置であるのに対して、障害者に楽なことはみんなが楽なんだからそうしようよという発想だ。障害者の人にも引け目を持たせず健常者も楽できるんだから素晴らしい発想の転換だと思うのだが、発想としてイマイチ定着していない感というか、用語自体「バリアフリー」に逆戻りしている気がする。
 まあ、言葉の問題なのでどうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、どちらで言うにしてもネックになるのはお金だ。階段ならば30度勾配にできるものをスロープで10度以内にしようとしたらそれだけ敷地が必要になる。ちょっと計算してみる。
  tan30° = 0.58 なので
   高さ1mの段差のためには1/0.58 = 1.7m の階段用敷地が必要
  tan10° = 0.18 なので
   高さ1mの段差のためには1/0.18 = 5.6m のスロープ用敷地が必要
 なんとなく思ってたよりかなりでかい差だな。

ユニバーサルは意外に難しい

 ネットから無断で拝借した画像で申し訳ないが、ここに2つのノンステップバスの画像をあげる。

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井笠鉄道ノンステップバス

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仙台市交通局ノンステップバス


違いがお分かりだろうか。
分かった人はバスマニアかも。


この2つ、スロープの展開のし方が違うのだ。
井笠鉄道のバスは引き出し式で、床の下からスロープを引き出す。
仙台市交通局のバスは、車内のドア内側の床を反転して展開する。

 構造的にも価格的にも圧倒的に手軽なのが床面反転式だ。
 しかしこの方式には致命的な欠陥がある。
 お分かりだと思うが、反転する部分に人は乗れないのだ。つまり、扉のすぐ内側まで立ち客が居る状況では使えない。こういう状況ではそもそも車椅子が乗れる余地が無いと言えばそれまでだ。申し訳ないが、満員バスで車椅子に譲るほどの余裕は健常者にだって無い。
 だからスロープは諦めろと言うのは当然違う。昼間のベビーカーはどうする? 乳母車のおばあちゃんは? そもそもノンステップって車輪のついたものだけが対象じゃなくて、部活でアキレス腱切って松葉杖の高校生にだって、もちろん疲れたおっさんにも優しいよねというのがユニバーサル。
 じゃあみんなハッピーな引き出し式にすればいいじゃんというとそれがそうもいかない。
 量産効果を補ってなお余りある高コスト構造なのだ、これは。

 ちょっと車の構造に詳しい人なら分かると思うが、バスやトラックはフレーム構造で床下のフレームで車体の荷重を支えている。このフレームには、エンジン・トランスミッション・操舵装置等の走行機器類が全て組み込まれる。その上に客室という箱が乗っかっていると考えてもらえばいい。
 ノンステップバスを実現する前に低床バスが開発されたが、これは従来床下に設置されていたエンジンを最後尾席後ろにエンジンルームを設けて積んだので、容積率が著しく低下した。
 ノンステップバスはさらに、前輪を左右独立にする必要が生じた。これだけでもものすごい高コストだ。
 さらにスロープ床下収納式だと、フレームラダーの変形配置や薄型化とそれに伴う強度低下の補償など、とても量産効果で開発コストを吸収できないくらいの製造コストがかかり調達コストに跳ね返る。そのコストは誰が負担するかとなると、事業者と利用者だ。スロープ床下収納式ノンステップバスの調達が「合理的で即応可能な範囲」の配慮かと言えば、そうとは思わない。
 落とし所は「車内が窮屈になるけど床面反転式スロープ付きノンステップバスで我慢して」というのが結局現実的なところ。
 ユニバーサルとは、「みんなが楽」であると同時に「みんながちょっとずつ我慢」の我慢量最小化ということだ。

 ポリティカル・コレクトレスは確かに正しい。が、ポリコレ信者が古の遺産として目の敵にする「最大多数の最大幸福」はユニバーサルと同義であるということも忘れてはならない。